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当時を知らない人でも、聞いたことがある米国のゴルフ場なのではないか。1980年、ジャック・二クラスと青木功が全米オープンで死闘を演じた場所、バルタスロールゴルフクラブ。そう、今年の全米プロゴルフ選手権の舞台だ。
ニクラスの前を堂々と歩く青木。米国のスターを前にしてもおじけづかなかった
確かに、不思議な運命を感じさせる予選ラウンドの組み合わせだった。
1980年6月12日、全米オープン開幕。青木功(38歳)のパートナーはジャック・ニクラス、そしてジーン・リトラー。1962年から1978年まで勝利を重ねながら1979年は未勝利に終わり、引退説までささやかれ始めたニクラス(40歳)。そのショットの正確性から「精密機械」といわれていたジーン・リトラー(50歳)。ともに年齢的なフレッシュさはなかったが、米国のスター選手であり、青木に対する期待の高さがうかがえた。
青木自身は「NHKの放送があったからじゃないか?」と語っていたが、そのNHKの中継が同年の全米オープンフィーバーに拍車をかけた。
初日、68で回った青木に対し、ニクラスは63。いきなり5打差をつけられ、見渡せば二クラスやリトラーの応援ばかりだったが、決して青木は物おじしなかった。2日目を終えてニクラスが首位(6アンダー)、青木が2打差の2位(4アンダー)。3日目も最終で同組対決となり、その3日目でついに青木は追いついた(ともに6アンダー)。
「どうせ途中で消えるだろう」とタカをくくっていた米国のファン、そしてマスコミが色めきだった。何しろグリーンを外しても、しぶといプレーでリカバリー。バンカーから寄せまくり、独特のパッティングスタイルで次々にカップへ沈める。それ以上に、ニクラスと一緒に回って押しつぶされた選手は少なくないのに、青木の表情はどこ吹く風。青木自身は次のように振り返っている。
「久々の優勝がかかっていたぶん、ジャックへの声援は日増しに大きくなっていった。そんな状況で仮にオレが勝っていたら、ギャラリーに踏みつけられていたかもしれないな(笑)。それくらい異様な雰囲気だったよ」
そんな母国のヒーローを前に立ちはだかる「東洋の魔術師」(当時の青木のニックネーム)。前述したようにNHKの中継があったことから、日本ではゴルフファンのみならず日増しにテレビにくぎづけとなり、その世紀の対決を手に汗握って見守った。